レポート27

生まれてしまう…!自己開示欲求モンスター…!

 

オーロンゲとシーズン2(シングル)構築反省会

@脱出ボタン 慎重HBD(眼鏡特化ゴールドラッシュ耐え)、鋼 両壁魂砕挑発

脱出ボタンはガチ。これだけ見てこのページ閉じてもいい。相手の初手にもよるが、相手が殴って来れば壁+無償降臨+積む隙を1ターンで作れ、粘土でなくても壁ターンに余裕が生まれる。セグレイブとかで竜舞を積んでしまえばかなり負荷をかけられる。壁+ソウルクラッシュ@1だが、個人的には挑発があった方が柔軟に対応できると思う。ただしハッサムは無理。

 

前期よりは良い順位だったので満足。ただカイリューのちゃんとした処理は最後までよくわかんなかったので課題。1位の人が受けポケ全対応のサーフゴーを作ってて、ハピラキを当たらないことで対策してた僕は未熟さを痛感した。

 

信用できないことより信用していいかわからない方が厄介

「信用できない」は、その変数を排除して行動すればいいのでまだ楽。信用するという選択肢を消せないとズルズルとダメな方に進んだりするので、よくわかんない信用度が一番厄介。

区分けできればいいんだけど。この人のこの面は信用できるけど、この面は信用できないみたいな。

 

個人主義は哲学の否定?

反出生主義のことを色々考えてたんですけど、僕の中では最終的に「反出生主義の目的を完全に実行することは無理だから、反出生主義者は自分の好きなように、できる範囲で活動をしたらいい」という結論になりました。

でも「自分の好きなように」、もっといえば「個人の自由」みたいな個人主義的な哲学って、学問としての哲学を否定しているような気がしませんか。悪いとは思わないけど。

学問はある程度普遍性がないと学問と呼べないので、哲学者は世の中における普遍的な法則だったり事実だったり、どう生きるのが幸せかみたいなことを考えるわけですが、「個人の自由」としてそれぞれに人生哲学を考えさせればそれは普遍性のかけらもなく、学問とは呼べないよなあと。個人主義が普遍的な理論なら哲学を新しく研究する意味は全くないわけだし。

ただ、個人が哲学を考えるとき、過去の哲学者の言葉などは参照される。学問としての哲学は、個人の哲学を考える手掛かりになっていると言えるわけですが、普遍性がない状態も哲学と認められるってことか……?不思議な学問。