レポート26

思考のしすぎ

 

ぼざろ聖地巡礼・下北観光

行ってきました。観光の方が主です。

まず古着屋が無限にありました。リョウが古着屋巡り好きなのも下北の環境に影響されてってコトなんでしょうね。あと駅に近づくほど変わった飯屋が多かったです。あとクレーンゲームだけでゲーセン名乗ってるところがあって「ロックだなあ」と思いました。

肝心の聖地巡りも楽しかったですが、アー写の壁とSHELTER(STARRYのモデル)撮りに行ったときに人が結構いて逆張り心が働きました。

 

何故か食い意地張ってる

最近特に痩せてきてるわけでもないのに外で飯を食う意欲が解放されててやばいです。下北行ったし落ち着いてくれ。

 

太鼓からドラム始めて苦労したこと

下北観光によってドラムやってた高校時代を思い出したので、太鼓の達人からドラムに入って大変だったことを書いていきます。ちなみに脚と腕の両立とかハイハットの開け閉めとか、誰でも苦戦するようなのは省きます。

・腕の可動域が大違い

太鼓の達人での腕の動きは基本的に上下しかないんですが、ドラムは左右に奥にととにかく広い。まあこれは身体全体で気持ちよく叩けるというドラムの良い点でもあるのですが、腕の制限を解放するのに慣れが要りました。

・力加減(特にスネア)

シンバル系は大丈夫でしたが、特にスネア(白くて高い音のなる太鼓)の力加減は本当に苦労しました。太鼓って、体力消費を抑えるために叩く力はできるだけ抜くんですが、抜き過ぎると大音符で強打の判定にならなかったり、台によっては反応しなくなったりするので、ある程度の強さで保って叩いてます。でもスネアは、弱い音を出したいと思うと太鼓ではありえないくらい力を抜かなければなりません。苦労したというか、今もそんなできないと思います。

・太鼓とタムで音が真逆

これが一番苦しみました。太鼓って、面側、つまり手前側を叩くと「ドン」という低い音が鳴り、縁側、つまり奥側を叩くと「カッ」という高い音が鳴ります。これがドラムでは手前側のスネアを叩くと高い音が鳴り、奥のタムを叩くとそれより低い音が鳴るんです。腕の動きは同じなのに音が真逆なんですよね。これの認識のずれのせいで、練習中間違えたと錯覚して何度も演奏が止まりました。

関係ないけど、「ギターと孤独と蒼い惑星」のサビ「~出せない状態で叫んだよ ありのまま~」の部分、だいぶ16分エグイですよね。虹夏、君もドンだーにならないか?太鼓からドラムは障壁が多いが、逆は案外うまくいくと思うぞ。

 

思想の強さが暴走するトリガー

思想の強い人は一定数いる。僕もそうだが、極端だったり過激だったり。でも、思想の強い人が必ずしも危険人物とは限らない。害を与える存在とは必ずしも言い切れない。

思想の強さが害を与える場合は、他人に自分の思想を支持してもらうことを強いる、過激な行動に走るなどである。しかしこれらはある点が守られていれば発生しない。それは「自分の考えも、他人の考えも一つの価値観であり、どちらが絶対に正しいという訳ではない」という態度である。この考えがあれば、他者を尊重して他害行動がかなり抑えられると考える。

ただし、これが一転して有害になる場合がある。それは、自分の中で思想が絶対に正しいとわかってしまった時である。

思想は価値観という核と、それを補強する理論や経験で構成されている。価値観は格であると同時に思想の「脆弱性」でもあり、そこを「価値観は人それぞれじゃん」と否定されてしまえば、思想の正当性は崩れ去る。このことを当人が無意識にでも自覚していれば、過激な行動には(あまり)至らない。

しかしふとしたことがきっかけで、その価値観と(少なくとも本人にとって)取って代われる客観的理論が見つかってしまった場合、その人は自分の思想が絶対正しいと思ってしまうだろう。絶対に正しいことを、他人に教えない理由はない。こうしたことから、他害行動に走ってしまう。有害な思想強者の出来上がりである。

だから何が言いたいかというと、思想を掘り下げるってこわいね。でも思想はそのまま自分の生きる指針になるわけだし、深く理解しておきたい。あゝ。